♪♪La negra 黒い彼女♪♪
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 それぞれの都市や村の生活が、ひとりの聖人によって支配されている。人々はその聖人を信心深く然もきちんと祝う。地区や同業組合もそれぞれ年中行事の祭りや儀式や市を持っている。
(「孤独の迷宮」の一節)

San Marcos

 我々の暦は祭りで一杯である。教会や国家が国全体に定めている祭りだけでは十分でない。
 我々の貧困は、民衆の祭りの数と豪華さによって測ることが出来る。
 豊かな国にはあまり祭りがない。つまりその時間も、気分もない。それに必要でもない。人々には他にやるべきことがあり、楽しむ時は、小グループで行うからである。
- - - Octavio Paz「孤独の迷宮」の一節より抜粋

 四月後半から約半月に亘って開かれるAguasclientesのFeria de San Marcosもこの町の聖徒の祭りだ。
 ここには、この時期だけ公認のカジノがあるのも、闘牛、闘鶏とならんで人気の一因だ。
iglesia gallo SanMarcos1
SanMarcos2 SanMarcos3
 誰も小声では話さない。帽子が宙に舞う。悪口や笑い話が銀貨の滝のように降り注ぐ。ギターが鳴り出す。
 場合によっては、喜びが悲劇となる。喧嘩やののしりや発砲、ときにはナイフで刺すようなことさえ起こる。それも祭りの一部である。
 なぜならメキシコ人は楽しむためでなく、その年の残りの間、彼を隔離する孤独の壁を乗り越え、飛び越えることを願っているからである。 (「孤独の迷宮」の一節)
(上、祭りの目玉、闘鶏をモチーフにしたメキシコでは有名な絵)


 現代の大衆は孤独な人々の集まりである。
パリやニューヨークでは、祝典の日に、大衆が広場やスタジアムに集まっても、国民としての意識はあまりない。
そこにはアベックやグループは見られるが、人間的な人格がそこに溶け込み、然も同時に取り戻すと言った生きた共同体は全く見られない。
 ところで哀れなメキシコ人にとって、困窮と悲惨さを償ってくれる、年に二、三度の祭りがなくて、どうして生きていけるであろうか。(「孤独の迷宮」の一節)