♪♪En tus ojos 君の瞳に♪♪
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 この国の人口はほぼ日本と同じだが19歳以下の若者が50%近くもいて彼等を教育すれば国の大きな発展が見込まれるということで、教育には熱心だ。  小学校6年と中学3年は義務教育になっており、幼稚園も義務ではないが4歳児以上無料のところが多い。  授業料は無料だが教科書や文房具は自前なのでやはり貧しい家庭にとっては厳しいようで、義務とは言いながら中学進学率は約30%といった実体がある。  また、地方自治体の財政もひっ迫しており、校舎等も日本的感覚からするとこれが学校かと思われるようなところが殆どだ。
小 学 校
Escuela Primaria


 従って殆どの小学校は二部授業となっている。
 これで施設の方は節約出来るが逆に先生は二倍必要になり、お給料は十分なものでなく先生達のストライキは日常茶飯事となっている。  ちなみに生徒20人に先生一人という全国統計がある。
 小学校は町の至る所にあり、公立の場合通りからスケスケに見通せるところが殆どで大凡の様子は分かっていたが、敷地内に足を踏み入れたことはなかった。
 知人のつてで学内の撮影許可をえたので御紹介しよう。

 学校の名前は、社会主義国らしく「英雄小学校」、ひと昔前のソ連や中国によくあった名前だ。 生徒数は各学年1クラス30〜40人、二部授業なのでおよそ360人。  鋪装がなく土埃の舞う農道に面した学校は予想に反して立派だった、校舎が他の学校に較べしっかりしているのと敷地内に形ばかりとは言えとにもかくにも緑があるのだ。
 とはいえ、御覧のように下の写真がこの学校のすべてだ、校舎は平家が4棟、教室が6室と職員室だけ。 いわゆる事務員さんのような人影はない。
 校庭はおよそバスケットコート程度であろうか。 訪ねた時は30分の休憩時間中だったが校庭でボールを蹴る子はいたが、校舎の裏にあるグランドには誰ひとりいなかった。
 それもそのはず、乾季の今は草一本生えておらず土埃がひどい上、運動用の設備は馬跳びでもするのであろうか古タイヤが数本埋めてあるだけなのだ。
 体操の時間は何をするのと聞いたら、時間はとってあるけど遊び時間と同じだよと屈託ない答えが返ってきた。
edificios2


 教会のそれのように、始業の鐘を担当の生徒が打ち鳴らすと、校庭に散っていた生徒達が教室に入る。
 クラスによっては入り口で整列点呼するところもある。 先生から再三催促される迄抵抗する悪餓鬼グループも見られた。

 この日はたまたまセント・バレインタインデーで休憩時間中に質素な菓子と飲み物が配られたので机を並べ替え、当番の生徒が掃除をした。
 なおセント・バレインタインデーは当地では「友情の日」とされ、同性同志でも肩を抱き合って祝福する。

 教室には黒板と椅子机、帚とモップ以外は備品は何一つない、生徒達の鞄も机の脇に置かれ、清掃したゴミも教室の隅に寄せ集められるだけだ。
 黒板には宿題がかれており、脇には九九の表やらa,i,e,u,oと母音表が張られているところは日本の小学校と同じだ。(スペイン語の母音は日本語と同じだが順番が違う)

 授業が始まったが、見なれぬ東洋人がカメラを持って入り口に立っているので生徒達は落ち着かない。
 このクラスは4年生で、担任は私の知人だ。
 教室の大きさは、幅は日本の小学校並みだが、先生の背後には教壇はなく、すぐ黒板があり奥行きがひどく短い。 経済的理由だろうが、生徒と先生の距離が近くていい感じだ。
orden limpieza pisarron clase


 これは1年生の算数の教科書だ。
 日本の教科書は20年ほど前の私の子供達のもの以来見たことがないが、思ったより紙の質はよく印刷はかなり綺麗で、1年生らしく絵本のようだ。

 上記したようにこの日はパレンタイデーだったのでこうして懇談の時間がとられていたが、そうでなくても月に2回は地区の有志達の援助でこうして飲み物と菓子で団欒する時間があるとのこと。
 ちなみにこの学校は市立ではなく、どういう単位かよくは分からぬが更に小さい単位の地区のものだとのとのこと。

 2部授業は昼食時間の前後で別れており学校で食事をとる必要はないが、遊び盛りの子供達はお腹が空く。  構内の一隅では、近所の駄菓子屋さんの女将だろうか、婦人が持ち込んだ飲み物と駄菓子が売られていた。  決して豊かではない筈のこの子たちのなけなしの1ペソ(約10円)程度の小遣いを当てにした商売、売る方も買う方も見ていて胸がつまる。
libro convivencia kiosko

 どこの国でも本音とたてまえに乖離があるのは承知しているつもりだ、また子供達の教育に力を入れ先進国に追い付くのだと言う大人達の意気込みも分かる、だがこうしてその具体的な方策を目の当たりにすると、なんと言うべきなのか言葉を失う。
 だが、底抜けに明るい子供達を見ていると、そうだ急ぐことはないんだ、先進国と自称する国々の学級崩壊、虐め、学園銃撃の悲惨さを知らぬこの子たちの方が何倍も幸せではないかと思ったりもした。