♪♪メキシコ国歌♪♪
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 ある国に独立記念日があるということは、言い換えれば、過去に他国から支配された歴史を持っていると言うことだろう。
  被支配の歴史が悲惨であればあるほど、独立の喜びは大きいに違いない。
 9月16日はメキシコの独立記念日だ。
独立記念日  日頃、現状政治に不満をかこつ人々も、軒先きや車のアンテナに国旗を飾りこの日を祝う。
 体制も反体制もなく、自国への愛着を表現する人々を見るにつけ、被支配の歴史を知らず国旗、国歌の是否に喧しい国民とどちらが幸せなのだろうか、などと比較にならぬ比較をしてしまう。
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 記念日が近付くと、交差点、スーパーの駐車場、住宅街などで国旗を売る人達が目立ちだす。
 このおじさんのような、はたきや煤払などを三色にした「便乗商品」をはじめ、ケーキなどもとにかく三色に塗りわけたものが目立ってくる。 もともと、サッカーの国際試合で勝ったりすると、国旗を担いだ若者が車のドアから身を乗り出しクラクションをならしながら街に繰り出すなど、国民一般の国旗に対する愛着、誇りは強い。
 旗売りの屋台などでも、小さな子供にせがまれて買う親の姿も多く見かけられ、誰に強いられるでもなく、素直に国旗を愛する風土が出来ているようである。
その1:国旗  外国人の私も、小さいのをひとつ車のウインドウにつけておくと、信号待ちの隣の車からウインクが送られたりする。
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hidalgo その2:Miguel Hidalgoの悲劇
 外国人が、なまかじりの知識で一国の歴史をうんぬんするのは御法度だろうが、何故この日を独立記念日と定めたかを見るのは興味深い。
 独立運動などと言うものは、ある日、ある集団が突如決起し成功すると言うものではないだろう。
 いくつものグループが画策しては、時の政権に潰されるという前段があるものだ。
 1810年のこの日に決起したグループは、確かに10万にも及ぶ農民をはじめとする社会の底辺層を巻き込んだ大きな動きではあった。
 しかし、余りにも無秩序で乱暴なこの集団は、リーダーHidalgo神父自身が危険を感じて主都攻略を回避し、半年あまりで鎮圧されている、インテリの弱さとでもいうのだろうか。
 以後、紆余曲折を重ね、宗主国スペインが正式に独立を認めるまでに25年を要した、然も特筆すべきは、この底辺層はそのプロセスに二度と組み込まれることはなかった。
 にも拘らず、この日が記念日と定められたのは、今日なお底辺層のまま国民の大部分を占めていることへの配慮のように思われる。
 街の中央広場には豆電球でHidalgo神父が描かれ、かつて彼が率いた階層の子孫達が集まる。
 Hidalgo処刑のあと独立達成に主役を演じた階層の子孫達は、レストランやクラブの「メキシコの夜」と称するパーティーで気勢をあげる。  何故、二つの階層が一緒に祝えないのだろうか。

その3:式典

gente  記念式典は前日の午後11時頃から12時にかけて全国で一斉に行われる。
 メキシコの町にはほぼ例外なく、政庁と教会と公園がセットになった中央広場があり、そこがイルミネーションで飾られる。  人々は、手に々々旗を持ったり、伝統的な帽子を冠ったり、サッカースタディアムでお馴染みのラッパを吹き鳴らしたりして集まる。
 15年ほど前、はじめてメキシコシティーの広場へ行った時には、会場までの道で通りかかる車から、小麦粉を詰めた卵が投げ付けられたりした。  会場の広場でも同じように卵の投げあいがあったが、中には、生卵だったり、トウモロコシの芯だったりし、時には小石までが飛んで来て、それをさける為群集が前に後ろにと揺れ動き、さながらデモ隊と警官隊のもみ合いの様相を呈し危険を感じたことがある。
 今、私の住んでいる町ではそういうことはない、日本でなら政治的行事に無関心な若いカップルや、孫の手を引いた老人達が続々と集まってくる。
 広場には夜店も出て、タマーレス等、伝統的な軽食や飲み物をとって、式の始まるのを待つ。
 なお、この日から翌日にかけては、酒類の販売は禁止されるので、酔っ払い等は居ない。


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folklorico  政庁舎のバルコニーは、国旗の色でイルミネートされ、やがてセレモニーの行われるメインバルコニーの下には舞台が設えられ、伝統音楽や舞踊が披露される。
 人々は勿論これらを楽しみはするが、ひたすら式典の始まるのを待って居る。
 つまり、楽隊も、ダンスも主役は舞台の上に居て、自分達は観客という傍観者なのだが、今夜ここに来たのは、それが目的ではないのだ。
 人々は、この式典に行くことを、「Gritoに行く」といって、そのまま訳せば「叫びに行く」ということで、適切な表現にならないが、やがて始まるメインイベントの彼等を見れば、彼等自身がこの式典の主役になりに来たことが分かる。

 楽士や踊り手が舞台を下りると、白い襟のきりっとしたユニフォームを着た子供達が登場する。
 司会者が「紳士、淑女諸氏」と時代がかった調子で、やがてメインイベントが始まることを告げると、群集がざわめき、ラテンの響きでみたされて居た広場に一瞬静けさが漂う。


grito  そして、その静けさを破るように、トランペットのソロが、ゆっくりと、然し高々と国歌の一節を吹き上げると、広場の全員が背筋に戦慄を感じたかのように、オーっと声を上げたり、口笛をならしたり、手にした国旗や、伝統的とんがり帽子等を打ち振る。
 ようやく彼等が主役になる瞬間が来たのだ。
 舞台の上の子供達の国歌の合唱も、もう聞こえない、群集は軍楽隊の演奏にあわせて合唱する者も居るが、ひたすら祭りのクライマックスを始めるよう催促するかのように喊声をあげる。
 やがてスポットライトの当たった庁舎のバルコニーに州知事があらわれる。
 長ったらしい挨拶は全くない、右手に国旗を持ち、左手にはHidalgoの打ならした鐘に因んだ鐘搗きロープを掴むと「ビバ、イダルゴ」(イダルゴ万歳)と独立運動の切っ掛けを作った神父の名を叫ぶ。
 すると、それまで勝手気ままに叫び声を上げて居た群集が、一斉に「ビバ」と声をそろえて叫ぶ。
 続いて、バルコニーの人が、独立に貢献した大統領などの名前をひとりづつ呼び上げ「ビバ」とやると、その都度群集が「ビバ」と声の限り応じる。
 もう、バルコニーの人は州知事でも誰でも良かった、彼は主役でもなんでもない、オーケストラの指揮者のようなものだ、主役は声の限りを尽くして叫ぶ群集なのだ。


fuego  バルコニーの人が最後に「独立万歳」と叫んで鐘をならし、広場の上が花火で包まれると、群集の興奮はクライマックスに達する。
 教会が独立にどのように寄与したかは、不文にして知らないが、この社会の片輪である教会は一時も忘れられてはならないかのごとく、鐘をうちならし、仕掛け花火でシルエットを浮き出させたりで、熱狂する群集に存在をアッピールする。
 現実の厳しい生活ゆえに政治に不満をつのらせるこれらの人々が、この政治的行事に、何故にかくも熱狂するのか、私の脳裏には再びOctavio Pazの言葉がよぎる。
 「哀れなメキシコ人にとって、困窮と悲惨さを償ってくれる、年に二、三度の祭りがなくて、どうして生きていけるであろうか」、、、と。
 打ち損なったのであろうか、数発の花火が、間が抜けたように、ぽつんぽつんと上がると、ため息とともに群集の興奮もようやく萎んで、なんとも言えないしらけた雰囲気が漂ってくる。
 さっきまでのあの興奮はどうしたのかと言いたいぐらい、すごすごと広場を後にする群集の肩を見ていると、明日からの厳しい現実がラップして見えてくるようだ。

エピローグ

 Gritoするメキシコの人たちを見て、戦中派の私には思い出すことがある。
 小学校時代に、天皇とはなんたるかも知らず、校庭に集まった全校生徒で一斉に「天皇陛下万歳」と叫ぶと、幼心にも一緒に叫んだ学友達と、なぜかえも言われぬ一体感を味わったものである。
 経済的には豊かだが、とかく国民が一体感を持つことが危険視される風潮のある今日の日本の人々と、動員されたわけでもないのに、国旗を手に手に独立記念式典に集う貧しいメキシコの人々、国が困難を迎えた時どちらが、より克服する力があるのだろうか。