♪♪Qeremos navidad クリスマスに望む♪♪
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 私が子供の頃の日本には戦争による孤児が町に溢れ、あちこちに孤児院があり、「緑の丘の赤い屋根」で始まるテーマソングの「鐘の鳴る丘」という人気ラジオドラマがあった。
 平和きわまりない今日の日本にはどのくらいの孤児達がいるのだろうか、私は知らない。
ほんとの 
 ほんとの
クリスマス


 私の住むメキシコのこの町の郊外に「子供達の町」という孤児達のための施設がありカソリック教会が運営している。
 今日はそこの孤児達が待ちに待ったクリスマスパーティー、ポサーダだ。
 待ちに待つのはどこの子も同じだが、ここの子達は本当に年に一回きりの贈りものを貰えるチャンスだから真に迫っている。
caja
 メキシコでは「クリスマスパーティー」のことを直訳したスペイン語では呼ばず「ポサーダ」と呼ぶ。
 ポサーダとは旅篭のことだが、マリアがイエスを生むために一夜の宿を探し求めた故事に倣った行事で、塀の中と外でマリアの一行に扮した一団と馬小屋の主のグループとがロウソクをかざし独特の節回しで掛け合いをやる。
 はじめは断わっていた馬小屋の主がそれではと門をあけると、中には飲み物と食事が用意されており宴が始まると言う趣向である。
 という訳で、本来は厳粛な宗教的行事だが、転じて乱痴気騒ぎのパーティー迄ポサーダと呼ばれている。

 カソリック教会の運営するこの孤児院のポサーダは、勿論本来の主旨にそったもので、構内にある質素な教会のミサから始まる。
 ミサが終るとPatio(中庭)でゲームが始まる。  子供は正直だ、ミサの間は退屈そうにしていた顔つきが生き生きとしてくる、コンクリートの地面の冷たいのも一向に気にならないとみえる。  ゲームには職員や教会関係者も加わり、椅子取りゲームやドーナッツ喰い競走などが行われる。  日頃厳格な職員が椅子に掛け損ね、はじき出されたりするとヤンヤの声援が起こる。
 ゲームのフィナーレは、どこのポサーダでも行われるピニャータだ。
 ピニャータとは新聞紙などで作られたハリボテで、なかに飴やらピーナッツ等がつまっている。
 これをロープで釣るし本来なら目隠しをして歌の一小節が終る迄の間棒で叩くのだが、小さい子供の場合はまづ割れることがないので目隠しも免除され、ロープも揺すられない。

 ゲームは女の子、男の子、大人とグループ分けして行われるが、割れた時飛び散った中味に殺到する迫力は、女の子のグループであっても、さながらアメリカンフットボールのターンノーバーシーンを見るようだ。
iglesia
esperan pinata disputa

seloabre
 さて、いよいよお待ちかねのプレゼント支給のイベントだ。
 食堂に移動すると、舞台にイエス誕生シーンの飾り付けがある。  本HP、クリスマス(1)にあるように、馬小屋の中にイエスを抱いたマリアと東方の三博士等が居りまわりに羊や牛が群れている。
 教会関係者やボランティアが各テーブルをまわって、Cena(夜食)のサービスをする。
(この写真は"asahi.com"の「世界のクリスマス」に掲載されました)

regalo
 席に戻るのもまどろっこしく、まわりの注目浴びながら、包装紙を破り箱をあける。  この喜色満面な顏を見て下さい。  どうやって調べたか、彼のひいきのサッカーチームのユニフォーム、アンダーシャツ、スパイク、ソックスそれにボール迄ついている。 ofrenda  夜食が行き渡ったころ合いを見はからってプレゼントが渡される。  プレゼントはボランティアの人達からのもので、前もって渡された孤児の名前、年令、性別、身長、足のサイズ等を参考に用意される。  司会者が名前を読み上げるとひとりひとり前に進み出て受け取る。  本当に一年間待ちに待った贈り物だ。
 夜食はタマーレスという、トウモロコシの粉の挽き肉団子をトウモロコシの皮で包んで蒸した餃子とチマキの合いの子のような食べ物と、ミルクをベースにした甘いアトーレという飲み物だ。
 とても質素なものだがこれは孤児院だからではなく、どんな豪華なポサーダでも出される。
 子供達の興奮は納まらない。
 宿舎に引き上げても部屋に入る子はいない、友達のものと較べたり、箱から出してはしまい、出してはしまい、いつやむともない。
tamales  彼等が何故孤児になったか、そんな事情が分かったとて彼等に何ほどの慰めになろうか。
 とにかく親がいないのだ、そんな彼等に贈り物をくれた人がどんな人か、それも彼等には関心がないだろう。
 イエスが誕生し、キリスト教会が出来、千数百年を経てこの孤児院が出来、そこで自分達は育っているのだ。
 イエスの誕生を心から祝っているのはあなたでも私でもない、この子達ではないのだろうか。
seloabre