♪♪Llorona 泣き女♪♪
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革命記念日
革命戦士達の再会記念カラー写真
モノクロ時代、革命の露と消えた人

 メキシコが社会主義国で、代々のその政権を遡って行くと革命に辿り着くことを知らない日本人は多い。
 そして、その革命はロシア革命に7年も先立つ、1,910年に起こったことを知る人は、更に少ない。
 11月20日はその蜂起の日を記念した革命記念日だ。
 政治的な祭日としては独立記念日と並ぶ筈だが、独立記念日にくらべると、国民の盛り上がりが少ないのは何故だろうか。
 独立は全国民共通の喜びであるが、革命は国民を勝者と敗者に別けたからだろうか。
 有史以来、全階層が国を2分して血を流しあったことのない、我々日本人には理解出来ない感情かもしれない。
 
locomotora  革命に先立つ数十年は、メキシコが近代国家に生まれ変わりはじめた時期だ。
 そして、それを推し進めたのが、メキシコ近代化の父と呼ばれるポルフィリオ.ディアスで、実に34年の長きに亘って大統領をつとめた。
 どっかの国の首相が聞いたら卒倒しそうな長期政権は、一方で貧富の格差拡大や、政治の腐敗を招き、革命を誘発するという、多くの国と同じ道を辿ったのである。
 そして、そのきっかけを作ったのは、この国の10大財閥のひとつに生まれ、フランス、アメリカで高等教育を受けたフランシスコ・マデロで、特権階級の出であったというのも、ロシア革命等と一脈通ずるところが有る。
 そして、独裁者ディアス打倒が目的であったマデロがつけた火は、それをはるかにこえた社会革命へと突き進み、彼自身も暗殺されてしまう。
 革命勢力の移動に活躍したのが、ディアスが近代工業化の目玉の一つにした鉄道であったのも皮肉な運命と言える。
 革命記念日には多くのTV局が、革命をテーマとした、かっての名画を放映するが、決まって列車に乗り込む兵士と涙の妻の別れのシーンが登場する。


panchovilla  穏健自由主義の範囲で留まろうとしたマデロを葬った革命勢力は、以後武力による勢力争いを繰り返し、メキシコを内線状態に追い込んだ。
 主勢力はパンチョ・ビジャ(写真、椅子に座った男)、エミリアノ・サパータ(写真、ソンブレロを持つ男)、ベヌスティアーノ・カランサ等であったが、ロシア革命のマルクス、レーニンに相当するような強力な思想的指導者を欠いたため、革命の集結を長引かせることとなりカランサが覇権を握る迄の約5年間、内戦で国力を疲弊させることになる。
 なお、余談になるが、これらの諸勢力が調整会議を開いたのが、私の住む町アグアスカリエンテスだが、調整は不調に終わっている。


soldados  カランサが覇権を握り、現在の憲法のベースとなる1,917年憲法を発布したあとも、政権の交代は、暗殺や、武力が伴うのが常で、1,930年に国民革命党が発足してようやく政権交代が平和裡に行われるようになる。
 ところが、この国民革命党は、後に制度的革命党と名を変えはしたが、今年行われた2,001年の大統領選に敗れる迄、何と70年間も政権を維持し続けたのである。
 毎年、革命記念日には、パレードが繰り広げられるが、今年のそれは、革命に根を発する党が演出する最後のものとなる。
 じつはここにその写真を載せる予定だったが、今年はどの新聞社のホームページにもそれがない。
 代わりに、現大統領が90年の歴史を破ってメッセージを寄せなかったとか、大統領選に敗れた与党支持者から大統領に盛大な野次が飛んだとかの異変が報じられている。
 歴史学者によれば、革命は30年後に諸制度の改革を終わり初期の目的を達成したとなっている。
 この写真は革命に中心的役割を演じた、上記エミリアノ・サパータの部下達の写真であるが、彼等が夢見た理想郷は実現したのだろうか。
 オクタビオ・パスの「哀れなメキシコ人にとって、困窮と悲惨さを償ってくれる、年に二、三度の祭りがなくて、どうして生きていけるであろうか」という言葉は、まだ生き続けているのではないか。
 新しい指導者は来年の記念式典をどう演出するのであろうか。